続北海道日帰り温泉の旅

令 和7年11月11日
December11,2025


旭川市常磐公園 風雪の群像爆破事件からさらに50年

1972年10月「東アジア反日武装戦線」大道寺将司等による爆破事
から既に半世紀以上が過ぎました。実は作家三好文夫が「片膝を
いている姿が差別に当たる」と作者本郷新に公開質問状を出し、
「開拓の先導者という意味で目立つように姿勢を低くしたものだ。」
と反論したところから始まっています。実際のところは旭川のア
イヌは無関心だったと言われています。試作品と修正後の写真に鮮
明なものはありませんが、アイヌ老人の右腕をさらに伸ばし、胸の
張りが強調されてこの作品になっている程度の印象は受けます。

下段の絵画は北鎮記念館に展示されている「国見の図」です。明治
18年8月の図です。風雪の群像と同じ観点から考えると歴史資料
も変なことになってしまいますが、剣淵郷土資料館で見た大正8年
の蹄鉄工免状には
名前の上に「平民」と記されているのを見て驚
きましたが、国見の
図も考えすぎて修正を加えたものなら正しい
歴史認識を狂わせてし
まいそうです。
1972年10月23日爆破される 1977年に修復





後の北海道初代長官岩村通俊と屯田兵本部長永山武四郎らが石狩川奥地調査に来て、
長谷部辰連、佐藤秀顕と共に、近文山頂に登り、広大な未開の上川平野を国見した
時の模様を描いています。


北鎮記念館に展示のある国見の図



昭和22年の日本国憲法施行まで華族制度は残っていたんですね。
公・侯・伯・子・男の5段階の爵位の下は士族でその下が平民
なり士族に法律上の特権はなかったとは言われていますがとりあ
えず
つい最近まで生まれながらの不平等はあったんですね。

剣淵町郷土資料館に保存されていた蹄鉄工免状



昭和22年にはどなたも平等になっていたようです。








旭川市常 磐公園   北海道開拓記念碑風雪の群像

旭川市江 丹別町嵐山   岩村通俊、永山武四郎国見の碑

旭 川市春光町 国有無番地  北鎮記念館

剣 淵町郷土資料館