続 北 海道日帰り温泉の旅


令 和7年6月23日
June23, 2025



開高健の小説「ロビンソンの末裔」の舞台となった戦後開拓地を探る


開高健はこの小説を上川町の戦後開拓地を取材し
て書き上げたそうです。その他数か所の開拓地も
取材したようですから、小説の内容すべてが当て
はまらないにしても骨格に共通した地域は特定で
きるのではないかと探索を試みました。
これまで上川町の数多くの小学校跡地には現地に
足を運び、記念碑などを写真におさめてきました
が、正直「こんな山中にまで入植者が入ったんだ。」
と驚く辺鄙な山中の跡地も戦後を待たず多くの開
拓者が入植した歴史を持ち、戦後に初めて多くの
入植者を送り込んだ陸の孤島ともいうべき地は極
めて限定されるでしょう。
明治のはじめより開拓者が入植して最初の共同事
業は子供の教育でしたから、これまで現地に行っ
ていない小学校跡地を探せば舞台の地が特定でき
ると考えて図書館で資料を集めました。





学校の教員を退職された尾崎功さんの労作「上川
管内の廃校後を辿る」にロビンソンの末裔の舞台
と確信を持てる地域がありました。





根拠となったのは小説の文中の次のような地理条
件です。

山は 馬蹄形になっていて、馬蹄の切れ目から窪地に入り込む。

私た ちの土地は巨大な馬蹄形の山に囲まれた窪地で窪地の熊笹をかき分け

遡る とあとは果てしない大雪山系の中に迷い込んでしまうことになる。

私の土地川に向かって開き三方を隣の境界と山で閉じられてい る。

上川町菊水その中でも旭ヶ丘地区であろうと判断し
ました。菊水の農業地としては街と石狩川を挟んだ
対岸にこの山間の町としては広い水田地帯がありま
すが、こちらは明治の入植です。同じ菊水の地名が
付されていますが、旭ヶ丘はこの地とは完全に山で
隔絶しています。



菊水小学校所属旭ヶ丘分校が緊急開拓団入植の
翌年に開校しています。






現地は書籍の地図では状況が分かりにくいので
すが、現在でも街から遠く離れ山中に分け入った
大雪山連邦を最も身近に仰ぎ見る地域です。
現在は泣Oリーンサポートという組織が地域
農業を支え、しかもなかなか優秀な成果を挙
げているとのことです。
大きなサイロの隅に旭ヶ丘小学校跡地の碑が
あると記載されています。昭和36年までに
36戸の入植者を迎え入れ21戸が離農転職し
たとのことですが、戦後開拓者の拓いた地は
農地と「旭ヶ丘」の地名に遺されているのです
ね。ただ検索では上川町旭ヶ丘では難しく
上川町菊水のようです。
この地の標高は530メートルです。ほぼ道内
で開発された類似高地で健在なところは無い
でしょうから、上川町民の高地開発の意欲は
不屈のものがあります。






それでも、なかなか都会でも探しにくいような
お店もポツンとあったりします。古いものです
が5月5日の画像です。休日は予約がないと無
理のようです。

上 川町菊水旭ヶ丘 FRATELLO DI MIKUNI(フラテッロ ディ ミクニ)

旭川周辺の丘陵に開かれた農地にももう雪は
あっても僅かになっている時期です。









地域名としては違うのでしょうが同じような条
件の大雪牧場5月19日の画像です。








上川町立中越小学校跡中越尋常小学校跡地

旧中越三十六番地 上川町立中越小学校跡

 旧上川町立越路 小学 校

上川町立白川小学校跡

上川町字東雲 139 旧上川町立東雲小学校

上川町旧チカリベツ拓殖地跡 中越尋常小学校跡地
旧中越三十六番地 上川町立中越小学校跡


上川町清川 上川町立清川小学校跡

上川町白川 上川町立白川小学校跡と白川地区

上川町 菊水部落開拓記念碑と旧菊水小学校

上川町豊原 豊原国民学校跡地


著者がこれまでに訪ね た戦後開拓関係地


美 瑛町上俵真布  和寒町の隠 れ里福原地区から西和地区  和寒町東陵地 区旧和寒町立東陵小学校  鷹栖町維文地区と維 文峠旧鷹栖町立維文 小学校

比布町十号比布町立比 布小学校西分校跡  美 瑛町上俵真布  美瑛町美園山間の戦後 開拓地「美開」につづく一帯  上富良野町 立清富小学校

愛別町 旭山 旧愛別町立旭山小学校  旧当麻町立 緑郷小学校当麻町緑 郷  川 町清川  旧 道で地域を探る旭川市江丹別町 春日 伊納神社 

旭川市江丹 別町西里 西里会館横のお 地蔵さん  旭川市 ペーパ ン旭川第六小学校から上南部水神宮  雨紛囃子の生ま れた旭川市神居町 共栄(旧神居村共栄)

旭川市西神楽 南十四号(通称新開地区) ほたる名水  美瑛町福富 瑛進 陸軍第七師団演習地監 的壕跡  遠軽町丸瀬 布 上武利 武利街道の道標

遠軽町丸瀬 布大平高原 大平小 中学校跡の碑  遠軽町白滝 天狗平 東白滝小学校跡の碑  美 瑛町拓進旧美瑛町立千代田小学校跡

小学校裏の 地神碑と馬頭観音美瑛町新星 御牧(みまき)の地神宮 美 瑛町福美沢 福美沢神社 美 瑛町美開 美瑛名誉作業班 道路竣工記念碑 

美瑛町 新 星妙見 妙見 神社  糠 平駅、幌加駅の変遷  新 得町キナウシ開拓のあゆみ  美瑛町忠 別 忠別ダム望郷公園の忠別地蔵

美 瑛町五稜開基五十周年記念碑  美瑛町五稜第 一 阪和神社跡地  旧美瑛 町立五稜小学校  美瑛町北町 2丁目憩ヶ森公園 戦後開拓三十周年記念塔

美 瑛町美園 山間の戦後開拓地「美開」につづく一帯  美瑛町美園 (大区画、美郷) 戦後開拓の地 を訪ねる  美瑛町 昭和 6年福島から集団移住開拓の行われた二股地区

拓 北農兵隊の入植した旭川市神居町雨紛 東京部落の現在  雨紛囃子の 生まれた旭川市神居町共栄(旧神居村共栄)

美 瑛町五稜 旧五稜開拓診療所   美瑛町新星  新 星開拓碑

美 瑛小学校敷地内 美瑛町文化財第2号 旧陸軍演習場廠舎門柱

僅 かの期間で戦後開拓の幕を閉じた和寒町 東陵地区
旧和寒町立東陵小学校